7月30日 浦賀水道を渡った亀田でビーチ探検
(鳥雲の歓迎に興奮!)
今日は大学時代の友人2人と浦賀水道の千葉側に行ってみました、亀田というところで進入路がなく2km以上の長さの無人の海岸です。写真でご覧のとおり真夏の7月30日の浜辺に人ひとりいません。太古の昔からの姿を秘めている場所です。 浦賀水道をはさみ三浦半島の八景島あたりから三崎までの眺望が楽しめ、海岸は手つかず、自然な景観の見事なこと、おそらく亀の上陸もあるやも知れない大自然の砂浜です。大きなエイの死骸、大きなホタテの貝殻も発見しました。たくさん写真も撮りましたが一枚の写真にはまるで翼を開き鳥が飛んでるかのような雲が写っていてびっくり! 長年撮影のお仕事をしていますとたまにはどうしても理解できないものが写ることはありました、今回のはそういう怖いものではなく、偶然のことですが、鳥が大きく翼をはばたいてる感じに写ったのにはうれしいやら、鳥肌ものでした。東京湾のほぼ湾口の亀田は秘境中の秘境、初めて行ったのが10年前、10年たっても何一つ景色が変わっていません。丁度浦賀の対岸の亀田、おそらくはペリーの黒船が来航した(1853年浦賀来航、7月14日久里浜上陸)当時と何ら変化ない風情を保っているのでしょう。 この場所、自分にとっては時間の止まった竜宮城的なかけがえのない空間という気がしています。 今回はみなさんが全く知らない東京から遠くない不思議で魔法に包まれたような場所をご紹介いたしました。
まだまだ面白いスポットをこれからもご紹介できれば良いのですが、この亀田ほどのスケールで良い場所はなかなかございません。カリブ海の島々、バミューダ、バハマ、地中海、北極海、ノルウェーのフィヨルド、アラスカの氷河湾、オーストラリアのアポロベイも行きましたが亀田の感動は不動です。ですがこの場所をそっとしておきたい気持ちでいっぱいです。どうか拡散などされませんようお願いいたします。
さて黒船来航の余談なのですが、旗艦サスケハナ以下4隻の軍艦の大きさはそれぞれ全長45m-78m級でした、サスケハナは建造3年後に来航した蒸気機関付き最新鋭の帆船,蒸気フリゲートでした。”たったいっぱいで夜も寝られず蒸気船(上喜撰)” 実はなんと4はいでした、なおコモドールのM.C.Perry提督、東インド艦隊司令長官は帰国後「日本遠征記」を編纂、来航から5年目の1858年63歳で心臓発作で亡くなられました。日米和親条約締結は1854年、ぺリーは下田港、函館港にも行き開港されました。下田の玉泉寺にハリスは1856年アメリカ総領事館を開き初代総領事となりました、私が英国の船会社に勤めていたとき同僚が玉泉寺のお嬢様で、歴代のアメリカの大統領が日本訪問の際には玉泉寺(うち)にも訪問なさるとおっしゃっておられました。私が勤めていた英国の船会社は1816年創業で江戸時代末期には横浜にも支店がありました。以上歴史の時間終わります。
追記、8月10日、もう一つ鳥肌ものなのですが、この近くに浦島太郎の銅像がございました、知りませんでした。
下の写真は2007年11月撮影
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